休眠貯金の解約顛末

*N大学SNSの筆者アカウントへの投稿を一部編集して掲載しております。  机周りの整理整頓していたら、30年前後も“休眠”したままになっている都銀2行と地銀2行の通帳が出て来た。もう記憶も曖昧で通帳に記帳洩れがあるものかないものかも記憶は定かでないのだが、*万円~*百円台の残高のものだった。幸いなことに、通帳に登録してあった印鑑を机の引き出しの奥に発見した。  今年の1月から「休眠預金等活用法」が施行されたので、昔の口座に残っている僅少のお金であってひとまず解約してみることにした。そこでまず初めに都銀2行の通帳の解約を行ってみた。  都銀2行はその後の合併劇ですでに存在していないが、2行共に新規の同じ都銀となって合併後の支店が近所にあるので口座解約に出掛けた。30年前後も放置していた通帳、それも2行ともすでに存在していない銀行なので半ば諦めていたが、対応して下さった女性行員は想像していた以上に親切で解決のため長時間奔走して下さった。  まず通帳残高*百円台の口座はすぐデータが確認された。ところが通帳残高が*万円台のもう1行は、合併後に支店そのものも統廃合で消滅していたが、統廃合後に引継いだ支店に問い合わせて下さり1時間後に口座データが確認された。銀行で長時間待たされたものの、結果的には利子付きで口座解約ができた。  ところが、通帳を発行したのとは異なる支店での手続きのため規則により現金でその場で支払えないそうで、同じ銀行にすでに口座を持っているか、新規…

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敗戦記念日を前に思う

*N大学SNSの筆者アカウントへの投稿を一部編集して掲載しています。  本日の東京新聞TOKYO Webの社説を読んで思うことがあった。 参照)2018年8月14日東京新聞社説「終戦の日を前に 国家は国民を守るのか」  十数年前に戊辰戦争の戦跡巡りをしていて、新潟県新発田市の新発田城址を訪れた際のことだった。  他に観光客や散歩者の姿もないお城の堀端を散策していると、新発田城の史跡ガイドをされている年配の方が声を掛けて下さった。それがSさんとの忘れがたい出会いとその後の交流の始まりでした。  初めに戊辰戦争の奥羽越列藩同盟での新発田藩についてに関心があって訪れたことをお話したところ、新発田藩の戦闘での実に興味深いお話を種々お聞かせて下さった。ガイドのSさんは新発田藩士の末裔でした。  そのお話がさらなる対話を呼ぶうちに、Sさんは定年まで地元の自衛隊学校で音楽の教官をされていたことをお話下さったのが切っ掛けで、先の大戦での軍隊体験を語って下さった。  それは広島に原子爆弾が投下された直後に、偶然に作戦の一環で広島市付近をを行軍していると、広島市街地方向から街道を逃げて来る被爆者の人々に遭遇されたときの体験談だった。  腕を前に伸ばし剥離した皮膚を引きずってふらふらと歩いて来る人々が、行軍する兵隊の姿を見て水を下さいと近寄って来た。しかし上官からの水筒の水を与えてはならぬとの命令で、誰一人水を飲ませてあげられなかったことを涙を流して語って下さった…

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『雅(みやび)先生』

(*N大学運営SNSの筆者アカウントへの投稿を一部編集し掲載しています) 【プロローグ】  人生の一時期には、その後になって思い返すと何とも不可思議な出会いというもが大なり小なりあるものです。雅先生(以下M先生と記す)との邂逅も今にして思えば、偶然が招いた遠い過去のひと時の白昼夢だったのかもしれません。  M先生とかねて四季を通して毎月のように昼下がりのひととき喫茶をした時期があった。先生と面識を得てすでに久しかったが,その年間を通した語らいの場は、それまでにも増してボクの心に静かな余韻と影響を残すものになった。  M先生はすでにいくつもの社会的な肩書きを持っておられた。そのどれもが世間体的に眩しいものばかりだった。有名医大名誉教授,医学者,医師。だがその一年来の語らいを通し,ボクがM先生を師と仰いだのは文士としてのM先生であった。 M先生は創作活動の急峻に果敢に挑まれ葛藤し,遂に一篇の作品を書き上げられた。その作品は,ボクに忘れかけていた文学への情熱を蘇らせて下さった。ボクも書こうと思った。M先生が語られその折々ボクが感じたことをもってして、ボクの文学再開に相応しいように思われた。 【2】  M先生との語らいのひとときは,ボクにさりげなく様々なインスピレーションや人生の道標を与えて下さった。M先生がまだ現役の大学教授だった時は、季節ごとに午後から教授室にM先生を訪問し、応接セットに向い合ってM先生との語らいのひと時を過した。ボクはM先生を尋ねる際は…

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