「夫婦選択別姓制度」考

(*N大学運営SNSの筆者アカウントへの投稿を一部編集し掲載しています)

 このところの国政選挙で、夫婦選択別姓制度が政党の公約に上がる機会が増えている。現在の夫婦同姓を巡っては、女性の社会進出の増加や生活スタイルの多様化で、確かに現実的に女性が社会生活を送る上で不利益を被る場面が顕在化していると思う。

 例えば大学の女性教員の場合、論文に掲載される氏名は研究者であることを担保する象徴になっている。だから独身時代に論文業績を上げ専門家として認知度を上げていても、結婚して姓が変わった場合、新しい氏名での論文は別人の新人扱いを受けるリスクが大変高くなる。だからあえて欧米人のミドルネーム式に旧姓を挿入する女性研究者もいる。彼女らの懸命さと智慧の柔軟さをそこに見る思いがします。

 夫婦同姓は、この国の封建時代の名残であることは歴史的に見ても確かでしょう。でも、夫婦選択別姓に加えて僕にはさらに第三の選択肢案がある。磐石な戸籍制度が担保されている限り、夫婦創姓が選択肢にあっても良いと思う。現在、婚姻による新たなる創姓は皇族だけに認められているが、広く国民に広がっても良いように思う。もちろんそれには磐石な戸籍制度が大前提になる。戸籍が担保される限り、夫婦が創名してそれぞれの両親、兄弟姉妹、親類はじめ先祖を辿ることが可能だからである。

 ところで夫婦同姓への確執に対しては、この国の近世(江戸時代)までの歴史に見られる公家や士族、例外的にごく一部の豪農や大商人を除く圧倒的大多数の民衆は、明治維新後の近代国家の成立以降に初めて姓を名乗ることが許された背景を押さえておく必要がありましょう。

 明治政府の富国強兵制度を根底とする近代的な戸籍制度の設立で、この国の民衆は姓を持つことができたといえましょう。それまで民衆の戸籍に相当するものは、一般的には各仏教宗派の寺院門徒の過去帳に頼る以外になかった。

 このように我々庶民には、明治維新以前には姓のない場合がほとんどで、平均的な日本人家庭の姓は明治維新後に誕生したものが大半である点が理解されましょう。京都の公家のように、歴史的な時間を経て脈々と受け継がれて来た姓は国民全体から見て極めて稀なもので、それを念頭にした夫婦同姓に確執する向きがあるとするならそれは全くお門違いなことでしょう。

 ここまで偉そうなことを書きましたが、では我が家はどうなのか?と問われれば夫婦同姓。これでは説得力ゼロですね…。

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